「不便を楽しむ」

博士(建築学)
古代建築史、建築技術史
吉村学長率いる早大エジプト調査隊の建築担当として、エジプト各地の発掘調査に従事。建築史の観点から、出土した建物址や建材の記録、分析を行い、かつての姿や技術の復元に取り組んでいる。石やレンガを積み上げた古代「組積造」建築の専門家として研究に打ち込む傍ら、調査成果を活かした遺跡保存のあり方についても積極的に発言を行っている。
大平(おおだいら)宿という宿場町をご存じだろうか。木曾谷と伊那谷をつなぐ中央アルプス越えの旧街道、その中間地点に設けられた。
江戸中期に開かれ、中央本線が開通した明治期には賑わいをみせたものの、飯田-妻籠宿(つまごじゅく)間を結ぶ国道の開設や産業の中核であった炭焼きの衰退などにより、過疎化が進行した。そして昭和45年、28戸91人は全員で山を下り、200年に及ぶ集落の歴史は消滅した。
冬には屋根まで雪が積もる厳しい環境のなか、無住の里は荒廃し、人々の記憶からも消え去ろうとした昭和48年、この地をリゾート開発する計画が飛び込む。この話に危機感を募らせた地元の人たちは、「大平自然と文化を守る会」を結成し、開発阻止に動いた。
結局、別荘地計画は開発会社の倒産もあって頓挫(とんざ)し、大平の景観は守られたが、本当の意味での苦労と悩みはこのときに始まったのかもしれない。一度は捨てられた集落を、どのように残し、再生させたらよいのか-。会のメンバーは研究会で議論を深める傍ら、傷む屋根の修繕や、夏の草刈り、冬の雪下ろしを愚直に重ねてきた。昭和58年にはこの地を貴重な遺産であるとする大平憲章を高らかに宣言し、古民家での生活を通して、生活の原体験を学ぶ場としてこの地域を再生する方針を掲げた。
現在、会は「NPO法人大平宿をのこす会」として、多くの問題を抱えながらも地道な活動を続けている。集団移住・集落保存再生のモデルケースとして知られ、小学生らが不自由な生活を体験するためにやってくる。
ここでは携帯電話が通じない。無人島ならいざ知らず、日本の真ん中に圏外があることは新鮮な驚きだ。水道はなく、水は山の小川から導かれている。しかし、この集落より上に人は住んでいないので、水は汚染されていない。冷たくうまい。
ガスもない。だから朝は火を起こすことから始まる。ライターで着火すれば一瞬だが、とうていそんな気にはなれない。江戸時代のように火打ち石をカチカチ鳴らし、種火を大きくするスタイルが似合う。囲炉裏に薪をくべ、かまどで飯を炊く。朝も昼も夜も火加減を調節しながらのご飯炊き。少々焦げたところで、不満をこぼす輩はいない。熱と煙にむせながら三食を作ることがどれほど大変なことか、身にしみて分かっているからだ。
各戸には電気が引かれ、裸電球が弱く灯されている。しかし、囲炉裏の火があれば十分。むしろ電気を消したくなるから不思議だ。やわらかな囲炉裏の火に照らされながら、酒を酌み交わす。街灯のない外は漆黒の闇。星も近い。昼間は傷んだ家の修繕を行う。障子の張り替え、建具の調整、草むしり、薪づくり・・・。起きて、食べて、働いて、寝る。シンプルだが、一つ一つの作業に手間と時間が恐ろしくかかる不便な生活。でも、その都度味わえる、小さな満足感と達成感はクセになる。
率直に言って、何日もこの生活を続けたいとは思わないし、この生活を経験したからといって都会での生活に劇的な変化が訪れるわけでもない。それでも、暗く、寒く、不便を強いる古民家の生活は、うまく言えないけれど、面白いのだ。頭と体をフルに使い、生活を実感できるひとときは、それが、将来の業績になるとか、誰かに褒めてもらえるとか、お金に結びつくとか、そういった打算抜きで、単純に楽しいのである。
とっても大切なことだと思う。そして大学もまた、なにか面白いことをしてみたい、と思った人が集まった怪しい場所であるべきと思う。長い人生のわずか数年間の大学生活。ならば、無償の情熱を思い切り注ぐことに挑戦しない手はない。
(文・写真:柏木裕之)



















